師、嘉禎二年丙申 十月十五日に、始めて当山に就いて、集衆説法す。上堂に云く、依草の家風附木の心、道場の最好は叢林なるべし。床一撃鼓三下。伝説す。如来微妙の音。正当恁麼の時、興聖門下、且く道え、如何。
良久して云く、湘の南潭の北黄金国、限り無き平人陸沈を被る。

師、嘉禎二年丙申 十月十五日において、始めて当山に就いて、開堂拈香、聖を祝し罷って上堂。山僧は叢林を歴ること多からず。只是等閑に、天童先師に見えて当下に眼横鼻直なることを認得して人に𥈞ぜられず。便乃ち空手にして郷に還る。所以に一毫も仏法無し。任運に且く時を延ぶ。朝朝日は東より出で、夜夜月は西に沈む。雲収まって山骨露れ、雨過ぎて四山低る。畢竟如何。良久して曰く、三年一閏に逢い、鶏は五更に向かって啼く。久立下坐。

 嘉禎二年は西暦1236年。道元禅師が興聖寺を開創したのが1233年ということですから、それから3年経過して始めて上堂したということになります。
 仏教に救いを求めるのも、坐禅をするのも、死んでは草に依ったり木に付いたりするという定まりの無い心の本当の有りようをはっきりさせたいからです。それにはこの興聖寺で修行するのが一番であるというのです。単の上に坐って後先無しに徹し、鼓が三つ鳴るのが聞こえます。その音が宇宙のすべてであり、釈尊の声そのものです。どうだそれがわかるかと禅師が大衆を見回します。しばらくして仰るには、どこもかしこも修行の道場でないところはない。自分が平凡だと思うならどこままでもそのままでよし。平凡から脱して帰り着く悟りの岸も無し、すばらしい浄土も無し、お先真っ暗も無し。

 興聖寺において始めて祝祷の諷経をして上堂。「山僧は叢林を歴ること多からず」とご謙遜です。道元禅師、14歳で得度なされ、仏法の真意を求めてさまよいます。中国に渡りようやく偶然にも如浄禅師にめぐり逢った。そして本当の修行をしたのが数年であったと仰りたいところでしょう。「眼横鼻直なることを認得して人に𥈞ぜられず。便乃ち空手にして郷に還る。所以に一毫も仏法無し」は有名なお言葉です。眼は横に並んでいて鼻は縦についているとは、誰もが当たり前の事だと思うでしょう。それがわかったので人にだまされなくなったと。人は眼横鼻直であることにだまされているから迷うのだと示されています。眼横鼻直と見るのは心の働き。見える臭いがするのは現実です。眼横鼻直と認得する心の働きと、今実際に見えたり臭ったりしているようすとはイコールで結ばれるものではありません。それぞれの働きが今行われているわけですが、このからだの中に、自分という中心があって、それが主体性をもってからだを活動させていると、なんとはなしに思っているのではないでしょうか。道元禅師は、自分という中心があると思い込んで、自分の心に振り回されていたことに気づきました。そのことを教えてくれたのが、師の如浄禅師です。道元禅師は数年の修行において、心に何が出てきても、それを何とかしようとか、良いとか悪いとか判断することを一切やめて、ただ僧堂の生活に身をまかせました。自分という思いを捨ててみると、思い描いていた悟りや仏法も消え去り、獲得しなければならないものが何もなくなりました。眼横鼻直にして今までの自分と何も変わらず、しかしもう自分にだまされません。ただそのことだけを日本に伝えるために帰朝しました。目に見えるお土産は何もありません。仏法という余計物など髪の毛ほども持って来ませんでした。

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