雪担方丈行状記
1、釣り坊主
寺の車は中古のセダンで
トランクには釣り竿が乗せっぱなしだった
朝課が終わると方丈は窓から空を見上げ
「おーい、にぎりめしを作れ」と云う
その頃の行き付けは直江津港の突堤で
狙いはチヌ(黒鯛)だった
しかし食用になる魚ならなんでも持って帰る五目釣りで
メジナ、イシモチ、カマス、鰺などは一種で大量になることもあった
私は一度大物のチヌを掛けたが、重すぎて上がらない
階段まで引っ張っていって水汲みですくおうと思ったら
方丈が手で強引に糸を引っ張り上げたために切れた
なにしやがるこのやろうと、心の中で叫んだ
秋になると毎日信濃川へ通った
目当ては鯉
今は架け替えられたが、昔の木造の与板橋の下が釣り場だった
50センチを超える鯉が岸近くに何十匹と整列していたこともあった
山越から信濃川へ流れ込んでくる川の合流もポイントだった
あるとき方丈は60センチはある紅白の陶器のような錦鯉を掛けた
私はたも網で追いかけ回してしまい、傷つけ死なせてしまった
私の掛けたチヌと見事な錦鯉のことを、方丈は後々までよく口にした
2,撃ち合い
コルトの短銃が二丁あった
BB弾を発射するオモチャである
東山寺の夏はアブや蜂がたくさんいた
こいつらを撃つのだ
オモチャとはいえ威力も命中精度もあり
そこいら中アブの死骸だらけになった
もちろん壁や窓に留まっているのを撃つ
漆喰には細かい傷と血の痕がたくさん残った
そんなアンフェアな勝負があるか
方丈はそう云うと
同僚のコルトを奪って私を撃ってきた
私は応戦し銃撃戦が始まった
敵がどこに潜んだかわからない
突然方丈が本堂を駆け抜ける
バシバシと撃つが当たらない
弾を使わせようって作戦だな
私は外へ走り出て庫裏の裏から室中へ回った
隠れていると思った場所に敵はいない
そのまま表に向かって歩いていくと
ドサッと音がした
方丈は本堂の廊下で待ち伏せしていた
ガラス戸を開けピストルの手を伸ばしたとたん
勢いあまって下のたたきに落ちたのだ
もがく方丈に弾丸が尽きるまで撃ち込んで逃げた
ほとぼりが冷めたころ寮室にもどると
突然障子越しに撃たれた
弾は眼鏡の左レンズを砕いた
方丈がガハハと笑った
3,麻雀
別に楽しい訳ではない
方丈は確かにそう云った
私の下に弟子が上山すると
方丈は麻雀の3人打ちを始めた
雨や冬の雪の中では
来る日も来る日も麻雀だった
私はそれまで麻雀なぞやったことがない
誰か上がると点数はいつも方丈が数えた
たまに村上の兄弟子が来ると
あいつは麻雀がすきでな、と方丈が云うので
席を代わったが
兄弟子も、別に楽しい訳ではない、と云った
あまりの麻雀生活に嫌気がさして
あるとき弟弟子が麻雀パイをゴミ収集に出した
方丈が怒ったかどうか覚えていない
しばらくすると湧いてきたかのようにまた麻雀が始まった
4、野球
方丈は野球が好きだった
バットは竹の棒
球はカラーボール
それは球作務と言った
おーい野球やろー、と方丈が外へ出る
弟子達は追従する
ピッチャーとバッター、そしてキャッチャー兼審判
三振したら交代
キャッチャーの後ろにはお蔵が建っていた
カラーボールはフニャフニャで制球が定まらない
キャッチャーが後ろにそらしてもお蔵がフェンスになった
壁も戸もボールの跡だらけだった
方丈はよく打った
アッパー気味のスイングで
ボールにはドライブスピンが掛かった
東山寺のヒットメーカーと称した
守備は庭木や物干し、自動車
それらに阻まれて
玄関前のコンクリ道路を越せないとアウト
一気に飛び越えればホームランである
日に何度も、おーい野球やろー、と声が掛かる
夏の暑い最中に汗だくでやった
寺に参拝客がいてもかまわなかった
客の車も守備になった
5,手習い
王羲之の書が手本だった
左手にたばこをくゆらせながら
畳の上に置いたチラシの裏に
筆をすべらせる
私が尋ねると
方丈は云った
あの年回表の字を見てみろ
書家が書いたに違いないが陰毛みたいじゃないか
方丈の字を見る
王羲之の字とは全く似ていない
暇があれば王羲之を開いている
いくらやっても方丈の字のままである
俺の字はたいしたものだ、と云う
そうだろうか
絡子の裏書きをお願いした
方丈は高校野球を観ながらサッサと書いてくれた
方丈が遷化して
弟子の絡子に裏書きした揮毫を集めた
白絹に四句を印刷して絡子の鏡(裏生地)に使えるようにした
あらためてよく見るとすべての句に誤字脱字があった
6,寿司と焼き鳥
海で魚が釣れると
お気に入りの客を招いてよく宴会をした
メニューは決まって握り寿司と焼き鳥である
摂心明けの宴会も同様だった
魚を三枚に下ろしてネタに切りつけるのは方丈である
手早くやるが、中骨を抜かなかったりするので
小骨が歯に障った
教えてもらって弟子達も寿司を握った
握りはシャリの中心に空洞ができるようになどと教わったが
方丈の握りはでかくて固かった
のちに私もネタを切りつけるようになったが
お前のは小さくてケチくさいと云われた
焼き鳥は方丈の自慢のタレで焼いた
方丈は砂糖甘いのが嫌いだった
そのタレは焼き海苔を入れるのがミソだと云った
塩の焼き鳥が醤油の色になっただけという感じだった
炭火で焼くので美味しいのだが
供するときには冷えてしまうのが残念だった
磯魚ばかりの握り寿司は
今思えば高級品だった
7,お経
方丈の上げるお経は
鼻にかかったような声だが
朗らかで優雅な感じがした
声量もあった
強弱をつけた木魚は
音楽的に聞こえた
誰かのまねなのか
方丈独自のものなのか
弟子にはこう教えた
お経に絢なんてものはいらん
まっすぐ棒に読めばいいんだ
一匹の蚊の為に死んでも良いという気持ちで読め
村上の禅師のお経には
世のため人のためみたいなお経上げやがって
秋田の婿どのには
(胸元が苦しいように手をやり)ここいらがぐちゃぐちゃしている
およそお経を褒められた弟子はいない
そして大抵その弟子がいないところで
そのお経を貶すのである
私はいったい何と云われていたのだろう
8,観念的
おそらく観念的だということだろう
たとえば
牡蛎をむいて塩水で洗うと怒るのである
水で洗えばいいんだ
たとえば
うどんの汁にゆずの皮をけずって入れたりすると怒るのだ
余計なことしやがって
たとえば
お玉杓子で汁をすくって垂れないように玉尻をお汁にぽんとつけてよそう
するとごにょごにょ文句を云う
たとえば
車に慣れない弟弟子がカーブでクラッチを踏むので注意すると
うるさい、と機嫌を損なう
習い覚えた小賢しい知識をひけらかすのが嫌いだった
怒ったのは観念先行では修行にならんということだろう
9,手
そこを右に曲がれというときは
指で右を指す
口で言うと間違える
右に曲がれと言いながら左を指させば左が正解
ちゃぶ台の上に置いた右手のそばにハエが留まった
方丈はそいつを手でたたきつぶそうと思ったのだ
ハエが飛び立つ前にパンッと叩いた
しかし鳴ったのは左手が畳を叩いた音だ
手をくねくね動かしながら
お前こうやってみな、これ誰の手だかわかるか
分かります
俺はわからねえぜ
10,日記
私は学生時代から日記をつけていた
出家してからも日々のことを記した
ある日方丈がそれを見て云った
無くなっちまった自分をどうやって書くんだ
出家以来つけた日記は全部燃やした
のちに半年間托鉢に出たが
旅の空でやはり日記を書いた
ものを書いて残すのも妄想だ
★これを見て、どこに禅があるのかといぶかしく思われる向きもあります
東山老師は、絶対的な師匠でありましたが
「老師様」と有り難がられるような存在ではありませんでした
いつでも自分100パーセント
飾ったり、取り繕ったり、恰好つけたりせず
ありのまま弟子達と接しました
弟子達は、「方丈」と、「様」も「さん」もつけず呼んでいました
自分のイメージする境涯を、坐禅によって得ようと思っても
作り事にもなりません
坐禅も悟りもかなぐり捨てて、自分100パーセントを坐る
ただそれだけ教えてもらったと思っています
方丈は、こちらの話をよく聞いてくれる優しいカウンセラーのような人ではなく
自分勝手で意地悪で女好きで碌でもない面もありましたが
そんなことも包み隠さず全身全霊で接してくれたと思います
弟子の方も、碌でもない連中ばかり
そんなものを一緒に住まわせて面倒みながら育ててくれたのです
そのこと自体、方丈にとっての修行だったのかもしれません
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