修行

ある日東山寺の曉天坐禅でのことです
東山方丈がやって来て坐るなりこう云うのです
「そうやって毎朝坐禅の格好をしているのか」

全身硬直して冷や汗が出てきました
問われても「無い」と言えないもどかしさ
未だ工夫が定まらず惰性で坐っているという思い

けれど自分を無くそうとしても無くならない
理屈が分からない訳では無い
ただいざ坐ると思ったようになりません

方丈はこう坐れとは云ってくれません
分けが分からないと云うと
もっと分からなくなれと突き放されます

どうして良いか分からないまま
毎日やみくもに坐っているといつの間にか前後不覚
ふと気づくと自分がどこにあるのか分からないのです

坐禅はこういうふうに坐れば良いと習い覚えても
実際坐ってみるとその通りにはなりません
理屈通りにいかないのです

何もしない、これ坐禅の要訣なりと覚えても
何もしないようにと自分を働かせるばかり
そうやっている者が無くなってくれません

ではどうしたら・・・
この身が理屈で在るのではないように
坐禅の在りようも理屈が無いのです

坐って坐って坐りぬく
ただ坐禅あるのみ
どこまでもどこまでも坐って下さい

どうぞ修行が成就しますように

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