そのままで
坐禅は坐相を調えて息をしているだけです
他に何かする必要はありません
坐禅という特別な何かではないのです
心静かに、落ち着いて、何も出て来ない、日常と違う心境・・・
そういうものを求めるのではありません
普通に坐れば良いのです
日常生活から坐禅に移る
恰好が変わるだけでそのままです
只坐れば良いのです
ほかに何もありません
しかしそれじゃいけないような気がする・・・
もっとどうにかならなければならないような気がする・・・
そんな気がして何か工夫を始める者がいます
それが「自己」というわけです
これを忘じて決着をつけたい・・・
さてどうやって決着をつけるか
自己を見ないようにする、問題にしない、手を着けない等
その工夫をしているのが「自己」です
無くそうとする者が「自己」なんですから
無くそうとすれば決して無くなることはありません
始めから無いまんま坐るしかないのです
そんなこと云ったって自分があるじゃないか・・・
はいその通り坐って下さい
問題はありません
絶えず心に出てくる疑問
これでは駄目だ、まだ悟れない・・・
どうしたらいいのだろう・・・
それを何とかしようとする者が「自己」ですよ
何もしなければもう終わっています
終わったものを後からなんとかしようとしているのです
ではそれから手を放して・・・
同じことの繰り返しです
それを繰り返しているのが「自己」そのものです
「自己」があろうと無かろうと、どっちでも同じです
悟っていようがいまいが、どちらでもいいのです
どんな考えが出て来ようとも、妄想まるけでも良いのです
ただ坐って下さい
普通に坐って下さい
そのままで坐禅にかなっています
坐禅から離れて日常に戻ったら
やはり普通でいいのです
でも不安は残ります
坐禅修行が日常に活かされない・・・
何も変わらない・・・
そうやって自分のようすを見ています
自分の資質を変えるのが目的ではありません
もと自己の無い真実の姿を取り戻したいのです
自分のようすを常に反省していたら自己は失せません
坐禅修行が日常に活かされない・・・
何も変わらない・・・
はいその通りの生活です
だから良いとか悪いとか云うと力が入ります
そのままで良ければ余計な力は要りません
全部良い、それがそのままのようすです
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