坐禅のやり方

 できれば落ち着ける静かな部屋で坐ってください
 お尻の下に丸い座布(無ければ二つ折りにした座布団)を敷きます
 あぐらの左足を右のももの上に乗せて、両膝が下に着くようにしてからだを安定させます
 (両足を両ももの上に乗せれば、不動の姿勢となりますが、無理することはありません)
 足の上に右手を置き、その上に左手を重ねて、親指同士を軽く着けます
 腰から上をまっすぐにして、口は閉じ、目は閉じずに力を抜きます
 最初に大きく息を吐いたら自然な呼吸を保ちます

坐禅とは、このままただ静かに息をしているだけです

 坐禅会では、止静鐘が三つ鳴って始まり、開静鐘が一つ鳴って40分の坐禅が終わります
 二坐続けて坐るときは、鐘が二つ鳴って経行(きんひん・歩く坐禅)となり、また坐禅して止静鐘が鳴ります


       だれもが通る道

問、坐禅中雑念が出て困ります

答、雑念が出て困ると思うのが、誰でもまず最初の一歩です
  しかし坐禅は雑念を消す方法ではありません
  雑念というものの中身はどんなものであろうと問題ではありませんから
  どうぞ雑念のまま坐ってください

問、無念無想の無我の境地になりたいのですが

答、雑念が出て困ると思う主が「我」です
  雑念のままにしておいて、困ると思わなければ「我」が無いのですから、それが無我です
  どうぞ無我の境地でやってください

問、どうしたら無我のままでいられますか

答、我を無くすというと、まず我というものがあるというのが前提となっています
  我を無くするのではなく、最初から我というものが無いから無我なのです
  始めから無我ですから、無我のままでいればいいのです
  ですが、ひょいと出てきた思いに対して、あとから何か言いたくなる癖がついています
  「これは雑念だから悪いものだ、出て来ないようにしなければならない」
  それすらも一つの思いです。しかし何を思っても思いは思いです。どこまでいっても今、ひとつだけのものです
  それを自分というものがあって、思いを客観的に見ているような気がするために間違えるのです
  見ている自分も、見られる自分もはじめからひとつのものです
  どうしたら無我のままでいられるか、その「どうしたら」と云う「我」を止めれば無我ということです

問、もう少し具体的にどう坐ればいいのでしょうか

答、簡単に云うと、自分を見なければいいです
  自分のしたことを反省しないのです
  思ったら思いっぱなし、見えたら見えたまま、聞こえたら聞こえたままです
  まったく無反省、無責任、赤の他人のようにポンと坐布の上に投げておくといいです

問、それで無我になれるのでしょうか

答、無我というのは方便です
  そもそも無我なんてものは存在しません
  無いものはなれません
  自分の外に無我というものを想定して、それになろうとしても決してなれないのです
  一度工夫の方向を定めたら、無我になるなんてことも思いっぱなしにしてやってください

問、では悟りというのはどういう境地なのですか

答、悟りという境地なんてありません
  ですから、悟りを得たと云えば、自分の中に悟りというものをこしらえて観察している様子です

問、結局どうなればいいのでしょうか

答、自分がこうなれば良いということで、自分が想定した心境に持って行こうと努力すると
  どこまで行っても良い悪いを云っていなければならなくなります
  その努力を止めれば楽になるのですから、どうなればなんてことを云っていては坐禅が始まりません
  自分の悟りのために坐禅するのではなく、坐禅のために坐るという気持ちでいるのが良いのです

問、それでは何にもならないような気がしますが

答、何にもならないのです
  何か特別なものになろうとしたら間違えます
  あなた自身になりきればいいのです

問、私は私以外の何者でもないと思いますが、私自身になりきるとはどういうことですか

答、あなたはあなた自身に何の問題もなく満足していますか

問、満足がいかないので坐禅しようと思ったのです

答、満足がいかない自分をなんとか良くしたい。よくわかります
  満足がいかないというのは満足がいかない自分というものを認めて
  それを自分の理想通りにしたいのにかなわない様子です

  現実の自分の有様とこうありたい理想の自分の二つを思って
  良いとか悪いとやっているのが迷いです

  私が言ったことは、それを解決する方法です
  それには満足がいかない自分のまんまでいくのです
  不安があったら不安のまんまいくのです
  満足がいかない自分を良くしようとしないのです

  良くしようとする力が消えると、ありのままのあなた自身になります
  どんな思いが出て来ようとも、作り事をせず、自分に嘘をつかずに
  ありのまま受け入れながらやっていけばいいのです
  なんとかしようとする自分が消えれば、問題は自然消滅します

問、無我というのはどんな心境ですか

答、自分の心境を見ていないのを無我というのです
  本当に自分という思いがないままでいると
  その間のことは覚えていません
  ふと気づいて、自分が無かったことを知ります
  何が変わるわけではありません
  


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