糞掃衣
九条糞掃衣です。檀家さんから寄進された古布を寄せ集めて刺し子で留めてあります。二人のお檀家さんが一年半かけて縫い上げました。
糞掃衣とは
糞掃衣とは、要するに仏教僧の着ける袈裟のことです。袈裟は仏教徒のユニホームとして、釈尊が考案したものとされます。
袈裟を着けるようになる前、仏教徒は他の宗教の修行者と服装の上で区別がつきませんでした。ある有力な篤信者が、仏教僧と間違えて他宗の修行者に礼拝してしまったことが、独自のユニホームを制定する契機になったということです。
袈裟のモチーフは田んぼです。仏の知恵の種を蒔き、立派に育ちますようにという願いが込められているように思います。田んぼをあみだくじのように区切っている仕切りはあぜ道です。ちなみにあみだくじは、阿弥陀さんのくじ引きということで、袈裟のかたちに由来します。
糞掃衣とは、掃きだめに捨てられた布で作られた袈裟のことです。律には捨てられた布の種類まで分類されます。布の大きさから縫製の仕方にも決まりがあります。(しかし重要なのは、いかに律に従って間違いなく袈裟を作るかではなく、この身を糞掃衣と同等にしておく・・・自分を捨ててしまう修行の方にあります。)
もともと袈裟とは糞掃衣であったわけですが、今日袈裟というと、直接糞掃衣のことを指しません。法衣専門店が売っているものを普通に袈裟と言い、それを着けるのが一般的です。それとは別に、自分で律に従って縫う袈裟を「如法衣」といいます。新しい衣財を使って作る如法衣もありますが、要らなくなって捨てられたボロ布を使い律文通りに作ったものを特に「糞掃衣」というのです。
袈裟
袈裟には三つの特徴があります。染色(ぜんしき)、截縷(せつる)、却刺(きゃくし)です。
染色(ぜんしき)・・・袈裟の名はもともと、原色ではない濁った色という意味のkasaya(壊色・えじき)を音訳したものです。色の美しさは執着心を生み、ねたみ、あなどり、おごりの因縁となります。これらを生じさせない衣服が袈裟です。ですから本来、金襴の袈裟というのはあり得ません。原色は禁止、特に白色は駄目です。インドでは白が最も価値ある布とか。原色の布を使うときは、必ず壊色に染めてから袈裟にします。
截縷(せつる)・・・袈裟は棄てられた布の寄せ集めです。小さなきれを縫い合わせていくことになります。しかし大きな布が手に入った場合も、あえて截断してしまいます。一枚の大きな布は、それ自体貴重であり価値があります。もったいないようですが、截断して価値を無くし布への執着心を断ちます。
却刺(きゃくし)・・・一針一針返し縫いで縫います。袈裟は修行するための衣ですから、丈夫でなければなりません。返し縫いですと、途中ほころびても糸が抜けていきません。
このような特徴を備えながら、棚田をモチーフに、上段の田んぼから下の田んぼへと水が流れていくように布きれを重ねていきます。縦のあぜ道に区切られた田んぼの列を一条と数えます。この条数の違いで、袈裟は三種類に別れます。五条、七条、九条です。これを三衣(さんね)といい、それぞれに用途があります。
五条(安陀会・あんだえ)・・・・・・・・・・・・・・仕事着、旅をするときなど
七条(鬱多羅僧・うったらそう)・・・・・・・・・修行のとき普通に着る日常着
九条〜二十五条(僧伽梨・そうぎゃり)・・・はれ着、釈尊に代わってその法を説くとき
そもそも袈裟はインドの装束サリーですから、現在日本で着けられる袈裟よりも当然大きく、袈裟の下に着物や衣を着るということはありません。法要のときだけしか袈裟を着けないということもありません。袈裟以外着るものはないからです。古い律文に、ある晩五条を着けていたら中夜に寒くなったので七条を重ね着し、さらに後夜になって寒さが厳しくなったので九条をさらに着たところ夜の寒さを防ぐことができ、三衣が制定された、とあります。袈裟は実用的なユニホームでありました。
日本では、下着の上に着物を着て、その上に中国の大衣を着て、それから袈裟を着けます。そこから着物と大衣と袈裟を三衣と勘違いしている人もいます。
袈裟は常に身につけていなければならないものと律に定められていますが、作務 をするときに普通作務衣のみを着て五条を着けることはあまりしません。五条は絡子というよだれかけのような縮小版になりましたが、それでも外掃除や洗い物のときに着けていると邪魔で仕方ありません。寺院内で書き物をしたり、接客するとき、他寺院を訪ねるときには五条を掛けます。
七条は修行のときに掛けます。坐禅のとき、日課経を上げるときです。
九条以上は大衣といい、導師を勤めるときに掛けます。
法事で導師を勤めるときには九条を着けなければならないと教えて下さる老僧があります。しかし、七条で法事を勤めるのが正しいという人もあり、すっきりとした答が出ません。
導師は釈尊に代わって法を説き衆生を導く人ですから、九条がふさわしいように思います。お経を上げるのは、釈尊の教えを説き広める行為に違いありません。南方仏教のお経の上げ方を見ると、堂内に集まった人たちの方を向いて、説教するようにお経を上げます。まさに釈尊の代わりを勤めているわけです。一方、日本(曹洞宗)の法事では、導師は本尊様の方を向いて勤めます。あたかも導き手は本尊様であり、大衆一如に修行している様子です。それなら七条がふさわしいかもしれません。葬儀の導師は、受戒をし引導をわたすのですから、九条を掛けるべきでしょう。
釈尊の代わりを勤めようというときは、自信を持って九条を掛け、一人の修行僧であるときには七条を掛けるというのが律に従った大まかな原則です。本尊様に相対して自分がどういう立場であるべきか、それぞれの見識によって掛ける袈裟が違ってくるようです。
宗門と如法衣
あるお袈裟の大家が、本山に役で招かれたとき、如法衣の絡子を掛けていったところ、サオの部分に環がついていないのをとがめられ、環をひもでサオに縛り付けたという話を聞きました。私は如法衣を着けて近隣の寺院の法要に随喜したところ、ある老僧からその袈裟では失礼だと云われました。衣屋から買った袈裟を、永平寺流か總持寺流に着けないと、失礼にあたると云うのです。
曹洞宗門の服制規程では、絡子の環については規定がありません。七条衣と九条衣に関しても色の規定があるだけです。ボロ布に刺し子をした糞掃衣は金襴袈裟と同等ということになっています。如法衣を着けても宗制上なんら問題はないと思いますが、問題だと思う人がいることも事実です。
袈裟に関する宗制の決めごとは、宗門のヒエラルキーを維持するためには必要不可欠だからということでしょう。そのヒエラルキーによって秩序が保たれ、檀家制度が維持され、寺院の護持も成り立ちます。その中にあって如法衣を縫うという行為は絶対必要なものではなく、如法衣を着けて法要に随喜することは、人によっては和を乱す元凶と見なされるかもしれません。。「最近、如法衣なんかが流行ってきて困る」などと本気でささやくとある宗門人の感覚の方が、大方の賛同を得るような気がします。
如法衣を縫って着けるのは、自己満足と言われるかもしれません。でもそれで良いのです。
宗門ヒエラルキーの上位に上ろうなぞと思わず、田舎の娑婆寺に住んで、月に数えるほども同宗の坊さんに会うこともなく、檀務と寺の維持管理をしながら、数人の参禅者と坐禅している身としては、本来の袈裟のかたちを伝えていると云われる如法衣を着けて、道心を失わないようにとやっている、それで良いと思っています。如法衣を否定する人に、道を求める人はいません。だからといって、「如法衣こそ正しい、衣屋の袈裟は駄目だ」なぞと云うつもりは全くありません。大事なのは道心ですから。
我が坐禅の師匠は、袈裟に関しては全く頓着がありませんでした。法要前に早くから袈裟を着けていると、「袈裟なぞ殿鐘前につけりゃいいんだ」と怒られたものです。私が住職して袈裟を縫うようになってから、摂心で如法衣を着けていましたが、何も云われたことはありません。おそらく、如法衣というものを知らなかったでしょうし、たとえ知っていても袈裟なぞ何でも良かったに違いありません。「俺が絶対正しいからこうやれ。お前が間違っている」というような主張をする人が大嫌いでした。
道を求めるこころ、長い時間を費やして縫い上げる如法衣にはそれが込められていると思います。ですから、自分には道心があると主張せずに、如法衣を着けて坐禅をするだけでよいのです。法要に随喜して如法衣を着けてはならんと云われれば、御用袈裟を着ければよいです。
如法衣が宗門の主流となることはありません。しかし、在家信者が如法衣を縫って坐禅するその大いなる歓喜を見るにつけ、お袈裟のありがたさを実感します。あたかもお釈迦さまそのもののようにお袈裟を大切にする様子は、袈裟の原点であります。ですから、如法衣の灯火が絶えないよう、微力ながら次代への橋渡しをしている次第です。