如法衣
お袈裟を縫う会で縫製されるお袈裟は、如法衣といわれるものです。如法衣は袈裟の特徴である染色(ぜんしき)、截縷(せつる)、却刺(きゃくし)を守って縫われます。法衣店の袈裟と違う点は、如法衣の五条では環が付かないのと、角帖が条に折り込まれず縁に重なって付きます。法衣店の七条、九条では身につけたときに折り返して裏が見える部分に「すべり」という飾り布を付けますが、如法衣は外に折らず内側に折り込むので「すべり」が付きません。それから縁に中道の却刺を入れるのも違いです。紐も共布を使って作られます。
却刺は手縫いでなければできませんので時間が掛かります。七条でもかなりの日数を必要とします。現代ではミシンという便利なものがありますから、ミシン掛けをすればもっと簡単に作り上げることができます。袈裟を縫って時間を費やすくらいなら坐禅をしろという向きもあります。
平成16年に三島の曹洞宗の青年部の僧侶が集まって定例の勉強会で如法衣を作ろうということになり、伊豆市泉龍寺の住職、丹注k健老師に教えを頂いて作り始めました。耕健老師のお師匠さまは修禅寺の元住職丹丁「宗老師で、この方は澤木興道老師にお袈裟の作り方を伝授されました。その澤木老師は江戸時代の真言宗の僧、慈雲尊者の薫風を仰いでお袈裟作りを始めたといわれています。慈雲尊者は江戸時代後期の方です。当時お袈裟が法会を彩る衣装となり、お袈裟を尊ぶ念が薄らいだことに対する批判から、古を慕って正しいお袈裟を復活させようとしました。
如法衣をどうとらえるかは、仏教や修行に対する考え方によります。如法衣を身につけるということは、時代に迎合せず釈尊の教えの真意を受け継ごうという意志の表明でもあります。
丹丁「宗老師が修禅寺にて澤木興道老師から頂いた馬歯縫いの七条衣
道元禅師のお袈裟
京都国立博物館にて「高僧と袈裟」という展覧会が平成22年11月23日まで開催されました。その中に道元禅師が縫製したと伝わる二十五条袈裟が展示されているのを観てきました。
展示場の照明が暗く、色がはっきりわかりませんが、濃藍色のように見えました。解説には黒の麻となっています。博物館の方に聴いたところ、墨染めということで、その前に濃い藍で染めているかもしれないとのことでした。葉の部分が開葉になっているようですが、鳥足縫いや馬歯縫いではありません。もともと開葉は、暑さ対策のために通気性を持たせる意味合いがあります。凝った意匠を廃し、実用的に風通しのよい袈裟に仕立てたのではなかと思います。大衣にもかかわらず、規則に従わずに裏地が付いていないのも、軽く通気性の良いものにしたかったからだと思います。また縁には中道が縫ってありません。現在「糞掃衣を縫う会」で縫っている如法衣は、久馬慧忠著「袈裟の研究」を教科書にしています。それには縁の真ん中をぐるりと一周却刺縫いをすることになっていて、会員は皆それに従って縫っています。学芸員の説明によると、中道を縫うのは慈雲尊者からの流れであろうとのことでした。しかし、7世紀義浄の著作に「外縁有刺三道」とあり、中道を縫うのが古則であったことが確からしいので、道元禅師の伝えたお袈裟に中道の縫い取りがないのが疑問ではあります。それから「袈裟の研究」では、角帖は縁と同じ幅の正方形を、田相とそれから少しだけ縁にまたがって縫い付けることになっています。これは袈裟の角の補強という説明です。道元禅師の二十五条では、角帳は縁の上ではなく下に入り込み、しかも縁の角までしっかり補強してありました。大きさにしたら縁の幅の倍ちかくあることになります。しかしこれでこそ角の補強というにふさわしいものだと思いました。よくわからなかったのは、条幅9pで作られていますが、端の何条かが13pになっていることです。計算違いをしてつじつまあわせをしたのかどうか、聴いても解説は得られませんでした。縫い目はいたって大らかで、上の澤木興道老師のお袈裟のような、細かい縫い目ではありません。すべてに渡って実用重視に作られています。